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空気の備忘録メモ その1〜プロジェクトに携わるまで〜 [アート]

随分前に書きためていたのを忘れていた。
そのままでもなんなので、アップしてみました。
去年携わったプロジェクトの思い出し、走り書き。

────────────
2009年11月3日で羽田空港での展覧会が終わった。
6日(金)に晴れて打ち上げの会があり、プロジェクト関係者が羽田空港に一堂に介し宴がおこなわれた。
その際にサプライズで壇上にのぼらされ、話を、と言われたのだが、本当にそういうのは苦手で。
何か話そう、と思いつく暇もなく、壇上に立ったら頭がポーッとしてきてしまい、そのまま話を続けるとなぜか泣いてしまいそう(感動というよりは、どうにもならなくなると涙が込み上げてくる、どちらかというとそっちのほうの)だったので、早々に切り上げた。
こういうの上手い人ってうらやましいなあと思いつつ壇を下り、下で冷静にSくんらの話を聞いていたらふつふつといろんな思いが込み上げてきた。

誰が読むわけでもないとは思うが、まあ隠すことでもないので自分の視点からプロジェクトを振り返ってみるとするか。

PCを変えたりメーラーを変えたりしていたので、正しい日程までは思い出せないが、たしか2008年の年末くらいのことだったと思う。1本のメールが来た。アーティストのSくんからだ。

 Sくんとは、それより1年くらい前に、造形大学の仕事でインタビューをした、それが初めての出会いだ。造形大学の仕事はもう4年くらい継続しているもので、卒業生のインタビューやらを毎年しており、たぶん他の誰よりも造形卒業生の現在について詳しくなっている自信はあった。なぜなら毎年卒業生で輝けるクリエイターを探して奔走していたからだ。Sくんに関しては、もちろん顔も名前も作品も知っていたのだが、なぜかピンとこなくて取材リストに名前を挙げていなかった。「何故だろう」と思うのだけれど、「彼には毎年出てもらっているから」というような大学側の発言があったからなんとなく天の邪鬼な私が敢えて避けていたのかも知れない、まあいずれにせよ、今となっては、その時は会うタイミングではなかったんだろうな、と思うしかない。
 つかめない、そのときもそうだった。メールと電話で取材依頼をするが、あまり的を射た回答を得られず、ひとまず日にちだけ決めて電話を切った。本当に大丈夫かな、取材場所には現れるのかな、撮影の許可とかとらなくて平気なのかな、不安を抱えたまま乃村工藝社の新社屋竣工の作品を見にお台場まで行った。2008年2月28日。Sくんは予定時間より遅れて現れ、撮影の準備に入った。案の定広報への連絡もついていずに一瞬慌てたがその場でとりつくろって無事作品の撮影を終えた。その後、カフェへ移動しインタビューに入る。

 すっごくチャーミングだけれどインタビュアー泣かせな人、それが第一印象。ふわりふわりとした話が結論を出さないまま話がパラレルにどんどん移り変わっていく、膨大な断片だけがICレコーダーに残る。彼の思考の移り変わりがそのまま言葉になっているのだろう。この時も2時間くらい話しただろうか、根っからのアーティストに会ったなあという気持ちとテープ起こしが面倒くさいなあという気持ち半々くらいで帰路へ着く。でも「いつかこの人の本を作りたい」その時思った。
 と思ったとしても、すぐに書籍なんて作れるはずはないので、まずは雑誌の連載企画でも考えてみようかなあとつらつら考え始めた。
 
 その時に私が考えていたこと。「デザイン」とか「アート」という言葉だけが異様に流布して(特にデザイン)、デザイン誌がやたらといっぱい出ていて、もちろんそれはいいことなんだけれどもそこに出てくるメンバーも決まっているし、同じ顔がいろんな雑誌に登場するのに辟易していた。もちろん雑誌のありかた自体を考え直さねばならない時期でもあったので、それが正しいかどうかは分からないけれど、他誌と違うことをやりたいと思うのが編集者なんじゃないの? と思ったり。一方でやっぱりメジャーな仕事をしてる人ってすごいし、マス相手に勝負して自分のビジネスメソッドを蕩々と語るデザイナーもすごいと思う。ミーハー根性だけは持ち合わせているので、そういう人に会いたいなと思う気持ちもあるけれど、デザイナーの究極の姿はあれなのかと思うと多いに疑問がある。となると、結局は自分の視点の持ち方になってくるわけで、どこに焦点を合わせていきたいかというと、やっぱりサブカル出身の性か、面白いけど脚光を浴びていない人に目がいってしまう。
 また世の中一般に言われている価値みたいなものは、ともすると政権が変わったり、小さいところでは企業の担当者が変わってしまうだけど、一晩で崩れ去ってしまうようなもろさがあって。何がいいデザインで、何が悪いデザインって、正直よくわからない。個人ベースに落とし込まれていったときに、その人の人生に必要なもの(実用という意味ではなく)が、やっぱりいいものなんじゃないかと常々考えている。特にアートなんていうものは、もともとパトロンと絵描きの小さなコミュニティの中でのごくごくプライベートなもので、それを市場経済の中に送り込んだから、価値を何で判断すればよいのかだんだんと麻痺してきたんじゃないかと。この前も奈良美智の贋作が70万円になったそうだが、落札した人が欲しいというのだからそれでいいじゃないかとも思う。価値ってそんなもの。
 そんな中で、フリーで業界のエッジでゆるゆると生きていくんだったら、自分が面白いと思う人を面白いんですと言い続けていくしか方法がないと思っている。業界の中心で世の中を動かしていくことにはまったく興味がないし(そもそも依頼がないと思う)、自分が声高に伝えたい主張もそんなには持ち合わせていない。ただ、アーティストだったりデザイナーだったり、今回の場合は研究者というのも入るかも知れない、いい作品を作る人、面白い思考を持った人の魅力を最大限に引き出して、「分かりやすく一般の人に伝えていく」ことだったら自分にもできるかもしれない、と思っている。

 思うに任せてタイプを走らせていたら、だんだん収集がつかなくなってきて、人生の悩みまで書き出す勢いになってきたので、話を戻そう。

 某エコ雑誌の連載企画。私がやりたかったのは3つポイントがあって、1つはSくんを含めたまだ媒体でそこまでフィーチャーされていない30代前後の若手クリエイターを継続起用すること。2つめは研究レベルで行われているもの作り(素材とか手法とか)をリサーチすること。3つめは、クリエイターに何かその新しい技術を使ったプロダクトや作品を考えてもらうこと。
 で、2008年の夏にSくんの研究室を訪ねて話を聞いた。この時も2、3時間かかっただろうか、スケッチを大量に見せてもらって、他の展覧会の資料などを借りて帰った。
 結局雑誌の企画はボツになったのだけれど、もうちょっとあっためて他にも出してみようかな。この企画をやりたい気持ちはまだ変わっていない。

 そしてやっとプロジェクトの話に戻る。2009年の1月だった。ちょうど2008年の10、11月を遊びほうけて過ごしていて、仕事をし始めなきゃと思っていた矢先に1本のメールが来た。デジタルパブリックアートプロジェクトに参加して欲しいという連絡だ。
 文章を仕事にしているくせに、なんととりとめのない文か。
 とりあえず一気に書いてしまったのでしかたがない。この調子で書いていったら膨大な量になりそうだけど、ちょっと続けてみよう。
タグ:art Media
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エリザベス・ペイトン [アート]

文字情報ばかりでちょっとうんざりして、ふと、きちんと描かれた絵を観たくなった。
Elizabeth Peyton エリザベス・ペイトンの画集「Live Forever」を本棚から取り出してみた。

Live Forever: Elizabeth Peyton


エリザベス・ペイトンは1965年アメリカはコネチカット州に生まれた肖像画家。
この本は、NYで2008年に開館したばかりの新しい美術館New Museumで開催された展覧会の図録だ。

ペイトンのデビューはそんなに早くはない。
1993年にチェルシーホテルの828号室で開催された個展だ。その際は
独特なタッチで描かれるペインティングは
流れる空気感はホックニーの絵に近いものを感じる。

自分の好きな(かどうかは分からないが)アーティストや著名人の雑誌の切り抜きや写真を元に肖像画を描いていく。実際には展覧会を見ていないから印象が掴みづらいが、サイズを見るとひとつひとつの作品はA4、A3程度のサイズ。だいたい雑誌の実寸くらいのサイズなのだ。

そして独特なタッチ。ささっと筆でなぞったような迷いのない筆使いが潔い印象を受ける。その軽さが画面全体の空気感を作り上げているのだろうか。モデルとの距離感というか、もちろん距離もなにも写っている写真を見ながら描いているわけだから、一歩引いたような感じがするのである。

あとは彼女が選ぶ被写体がその雰囲気を作り上げているのは言うまでもない。ミュージシャンでは、カート・コバーン、シド・ヴィシャス、パティ・スミス、リアム・ギャラガー、アーティストでは、フリーダ・カーロ、デヴィッド・ホックニー(どことなくタッチまでホックニー調)等々、ゴージャスな面々である。セレブご用達肖像画家と言われているのもうなづける。

1年くらい前にこの本を書店で見かけたんだけど、なんだかずーっと気になってしまっていたのだ。私は特にロック好きでもセレブ好きでもないんだけど、この絵から漂う独特な気だるい時間をもう一回見たくなってしまったのだ。パラパラとめくっていると、無名の人もいっぱい出てくるのだが、やっぱりいいんだよね。

ロックスターの写真集とかにはまったく興味ないんだけど、この本は欲しくなった。
勢いという意味ではやっぱり一瞬の光を切り取る写真にはかなわないのかもしれないけど、
そうして撮られた写真を描くということで得た時間がキャンバスの中に流れているような気がして、ふとした時にこの本をめくりたくなるのだ。

タグ:art painting
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サマーバケーションEP [本]


サマーバケーションEP

サマーバケーションEP

  • 作者: 古川 日出男
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本


★★★☆☆

今年の夏はあっという間に過ぎてしまったので、ちょっと夏を振り返ってみようと手にした一冊。
古川日出男という名前はもちろん書店や雑誌でもよく見ていて、故「エスクァイア」の連載も普通に読んでいたのだが、手に取ったことがなかった。

話は、ある夏休み。コンピュータに登録された言葉がしゃべっているような、一風変わった口調で物語は始まる。読み進めると、この主人公(性別は書かれていない)は何か心に問題を抱えているのだなということが分かる。
「僕はつまり<自由行動>が許されているから、二十歳を過ぎてやっと認められたんです」

そして、ある一人の男・ウナさんと出会う。主人公は、人の顔をみて話をしない、人の顔が憶えられない。しかし、人の声から体温を感じる、匂いを敏感に感じ取る。男は誰にも顔を憶えてもらえない=顔がない少年の話をする。そこで二人がつながっていく。場所は井の頭公園。

耳に心地いいリズミカルな文体でどんどん話は進んでいく。出てくる人たちは、どこか一般社会から欠けているエッジな人たち。寄り集まって、皆で海を目指す。なぜ海に行くか、なぜ神田川沿いを歩くか、なぜ徒歩か、誰も疑問に思わない。とにかく歩く、だけど休憩する。途中で3人組みの子どもや、離婚して子どもに会わせてもらえない社長のおじさん。総勢16人組になって、ずんずんと川沿いを歩いていく。

「……ねえ、つながってない? この冒険のはじまりから全部が」
「もちろんつながっています」
「ウナさんがその話を聞いた時から、ずっとずっと、ずっときっと、冒険は動き出そうとしていたんです。じゃなかったら、僕たちはこんなにも十六人で、自転車に運ばれる十六人組なんて、ここにはいません」

登場人物それぞれに問題をかかえていて、それがこの冒険を通して溶解していく。きっと問題が解決する瞬間なんてささいなことに過ぎないのだろう、しかし悩んでいる間にはそれに気づかない。何らかのトリガーが引かれた時、ぎゅんっと人生は動いていくのだ。ベンテン様の呪縛に縛られていたカップルは、単にマッサージを受けただけで、その呪いが解けて帰っていく。「人生が動く」瞬間はこの主人公にも訪れる。
「僕はしっかい、ウナさんとおじさんとイギリス人さん以外の声を、雑音として排除しました。受信速度を、しっかりと、しかも自然に三人の波長に合わせて。選んで拾いました。
しっかりと、三人の仲間のものだけを意味ある声をして識別して。
たとえ早口でも微妙にスローに調整して再生して。
ウナさんとおじさんとイギリス人さんの声の体温が、僕の糸となって、導いて。
だから僕は迷いませんでした。
迷わず、混乱しませんでした」
自分で気づいていく。「すべてがつながっていること」を。神田川がすべてにつながっているように、足裏が全身につながっているように。十六人組が別れたりくっついたりしながら、川沿いを海まで歩く姿は、その人の流れそのものが川の流れのようになっているのだ。それもまた人生。おだやかに、その身を任せていたい。

声に出して読む、耳で聞く文体に気を遣っている人なのではないかな。だからすっと入ってくる気がする。誰かが映画にしそうな本だと思うけれど、どうなんだろう。予想以上に染みた一冊。
さわやかでゆるーい雰囲気と、川をどんどん進んでいく感じが表紙にも表れている、D-Knotsの装丁デザインもグーです。

空気の備忘録メモ その3〜PRの難しさが身にしみる〜 [アート]

PRをしなければならない。

PRとはPublic Relation。
PRとはどんな手順で進めていくかというと、まずはリリース配信。これは記者クラブへの記事投げ込みや編集部へのファクスリリース、その他DM配信などが挙げられる。しかし、よっぽどのスクープネタで無い限り、編集部や記者を直接知らない場合は、ほぼ100%見過ごされると思って間違いない。自ら情報を探してアクセスしてくる編集者や記者は皆無に等しい。それって編集部や編集者、記者の怠慢だと常々考えているのだが、これだけいろんな情報が溢れていたら、そうなるのも無理はないと思う。よっぽどテクノロジーが好きな記者さんか、Sくんのことを常に気に留めている人、、、、くらいだろう。
また、今回中心となったアーティストのSくんは、もちろん素晴らしいアーティストなんだけれど、まだまだこれからという逸材。しかし、デビューしたてというフレッシュさはない。要は微妙な立ち位置なのである。メディアとしては、「新進気鋭の」とか「若手」とかそういう言葉を使いたいだろうが、他媒体にすでに取り上げられているアーティストだったりすると避けられてしまうし、誰かのお墨付きがないと起用できないなんていう判断能力のない人もいる。メディア批判をしても意味がないので、そこまで言うつもりもないが、ある程度の地位があったり媒体がメジャーになったりすると、○○さんを取り上げてないのにこっちをやるの? なんてことになったりする。最終的には編集者の好き嫌いに拠るところも大きいんじゃないの、と思う部分もある。あとはタイミング、だ。秋はデザインやアートイベントが多いので、一緒になって盛り上がれるというメリットもあるが、限りある媒体の枠を抑えるのは至難の業とも言えよう。


リリースをする時期

メディアに向けてPRをしていくには、何段階かにフェーズを分けたアプローチが必要。メディアの特性をよく考えて的確なアプローチをしないと、情報というものはすぐに見過ごされてしまう。広告とおんなじだけど、これ、すごく重要。

●6ヶ月(以上)前
デザイン雑誌やアート雑誌の特集企画、TVのドキュメンタリー番組へのアプローチ

TBS「情熱大陸」、NHK「爆笑学問」あたりを狙うもボツ。これもほんとタイミング。「情熱〜」に関しては、ディレクターさんがけっこう頑張って企画書を書いてくれたが、ちょうど放映する10月のタイミングで放映するものが多いらしく。「最後は運です」と言われてボツった。

●3ヶ月前
雑誌企画ものの再アプローチ、TV報道系、ラジオ企画もの

わりと感触よし。メディアアート(光る、動く)の特性を伝えるにはやっぱり映像媒体(テレビまたはネット)が有効だと思い、ひとまずテレビに果敢にアプローチを試みるが、テレビの企画モノなんて特に人のつながりが勝負。企画を出すディレクターかプロデューサーにつながらなければダメ。さらに、昨今の大不況(特にテレビ関係は最近になってどっかりとしわ寄せがきたのでは)で、製作費が削減され番組が作れないという。ドキュメンタリー番組なんてものは、ネタになりそうなものに密着してカメラをまわしてなんぼ、みたいなところがあるのに、それすらできないと言われてしまう。熱湯甲子園ばりの暑い夏を過ごしたのに、、、、。ひじょうにもったいない。

●1ヶ月前
雑誌トピック記事アプローチ、TV情報番組系、ラジオ情報番組系

これは普通にやっていれば普通に載せてもらえる。今回はアート系の記事は反応が良好だった。それは今回強力なPR姉さんにお手伝いしてもらったことと、自分の知り合いの編集者にPRしたというのが大きいんだろうな。美術系の媒体には、特に熱のこもったPRをしてるしね。ありがとうございました!


そしてキャラバンは続く

リリースを送った後は、個別に知っている編集者にキャラバン(企画説明)をしにいく。もちろん全編集部まわれるハズもないし、そんなに相手してもらえないので、確実に出してもらえそうなところに照準を合わせて攻めていく、が、それもなかなか難しい。

一般的にPR会社ってあるんだけど、わりと大手のところは広告代理店のようなもので、お金の力があれば媒体買いますよという姿勢のところが大半。TVの情報番組の枠も、ネット媒体のニュースも、ワイドショーの枠も、お金(もしくはそれ相当の話題になりそうな人をブッキングする=結局お金がかかる)である。代理店の人に言われたのは「オープニングやトークショウにタレント(もしくはワイドショーウケする文化人)を仕込んでTVを呼ぶ」とかそんなんである。

まず一般誌のアート担当に話を持っていくが、よほどメディアアート好きな人とかでないと、やっぱり村上隆や奈良美智や最近だと名和晃平とか、もちろんどっちがいいという話ではなくて、アートというとやっぱり絵や彫刻なのである。映像とかインスタレーションとかメディアとかデバイスなんて、しょせんキワモノの部類になってしまうのである。
「東大」「テクノロジー」「メディア」という言葉が着た時点でシャットダウンされてしまうようなケースも。。。自分たちがメディアの人間だったら、それくらいわかってよう、と言いたい気持ちを抑えつつ、できるだけ平易な言葉でプロジェクトを語るように務めた。

とあるマス媒体の人に
「誰にでも分かるキャッチコピーをつけたほうがいい」
と言われ、「がんばります!」と答えたはいいが、後からよーく考えるとすごく悩ましい。
・東大の技術研究プロジェクトである
・多少、テクノロジー臭を匂わせたい
・アート的なコンセプトも伝えたい(「空気」の意味とか、なんとか)
と思うと、どれも捨てがたくなってしまう。
「羽田空港が美術館に!」(× 美術館から外に出たいということで始まったプロジェクトである)
「空港にアートがやってきた」(△ メディア感がしない、オブジェがあるっていう印象になる)
「アミューズメント」とか「エンタテインメント」と使うと、たちまちナムコナンジャタウンみたいなゲーセンっぽい雰囲気になっちゃうし、ああ、日本語って難しい。

で絞ったのがこの2本
「テクノロジー×アート×空港」
「テクノロジー×空気で感じる新しい世界」
結局後者が採用されることになった。


媒体担当者のリテラシー次第

いろいろとPRにまわってみて感じたことは、結局のところ、企画なんてものは媒体担当者の個人のポテンシャルとリテラシーに大きく左右されるということ。どこもおんなじである。

すべては「出会い」と「タイミング」だ。

もちろん「誰にでも分かる言葉でPRする」とか「難しい印象を与えてはいけない」ことには細心の注意を払い、「分かりにくい」と言われる部分は随時修正を加えていった。でも、この企画に興味を示すかどうかというのは、媒体の特性ももちろんあるが(女性誌にはやっぱり載りづらい。とはいえ『ミセス』とかはのっけてくれたもんね、素敵だった編集者の人)、やっぱり「人」なんじゃないかと思う。頭がいいとか悪いとか、趣味がいいとか悪いとか、目利きかどうかとかはもうここまでくると関係ない。こういう特性を持ったアートプロジェクトというものに「個人レベルで関心があるか(ないか)」に尽きる。自分もそうだけれど、自分が興味を持ってやりたいと思ったネタに関しては、誰が何と言おうと押し通そうと思うしね、トーゼン。それは開き直っているわけではなくて、いろんな人や媒体担当者に会って話してみて気づいたことです。もちろん、リテラシーがある人にだってきちんと話をしなくては伝わらないし、最初は興味がないと思っていた人でも興味を持ってくれるケースもある。

何が言いたいかというと、PRは「人」である、ということ。
ちょっと悔やまれるのは、ある媒体のAさんに当たってけんもほろろだったけど、Bさんにあたっていれば可能性があったかも、という幻想。そんなに八方美人な浮気はできないし、、、入り口も結構大事だったりするのよね。

いつもはPRされる側なので、「この人はPRうまいなあ」とか「そんなPRのし方じゃ載せらんないよ」とかわがまま放題思っている(言ってはいない)けれど、する側になってみて、非常にたくさんのことを学ぶとともにだいたいのことは分かった。
タグ:art Media
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空気の備忘録メモ その2〜プロジェクト初期〜 [アート]

Sくんからメールがあったのが、2009年1月20日だった。
このメールというのも彼から来たというよりは、私が別の取材の申し入れをした返信にそれは記されていた。
10月羽田空港で展示をやるので、その広報とツール編集を手伝って欲しい、まだ先生には話してないから、動き出したら連絡をするという程度の用件だった。
正直、このプロジェクトが本当にきちんと動き出すとはこの時は考えておらず、面白そうだから話だけでも聞いてみようという印象。実際にお金が出るかどうかも分からず、なんとも半信半疑だった。
いつものように、私が役に立ちそうだったらお願いします程度の社交辞令的なメールを返信し、とりあえずはそのまま放っておいた。

そして数日後、急にメールが来て「明日の研究会でkmjさんを紹介したい」と。
おお突然だなーと思いつつスケジュールを確認すると、完全にダブルブッキング。ロケ取材(この時はアウトドア特集の釣り取材)があるので無理です、と一度お断りしていた。すると、何の因果か天候悪化のために船が出ないとの連絡。偶然にも1日ぽかりと空いてしまった。
こういうのもタイミングなんだなあと思いつつ、何にも知らぬまま本郷へ。東大の理工系の研究室の人たちに、私が作った本なぞ見せて何が参考になるのかもわからず、会ってみて合わなそうだったら他の人探してもらえばいいしね、という軽い気持ち数冊の本を抱えて研究室に向かう。

前情報としては、工学部という建物に行くこと、ヴァーチャルリアリティの研究室らしいということのみ。下調べもしていかなかったのは私が悪いが本当に予備知識もなく、きっとアキバに出没していそうな若者がいる研究室なのだろうな、程度の想像、情報系だし。東大だからといって身構えるとか緊張するとかはあんまりなく、だってさすがにいまさら何かを取り繕ってもバレるし、頭いい人たちだからきっと話は早いだろうな、と思ったくらい。そんな感じ。

最初に登場したのは助教のNくん。さっぱりとした好青年だ。もっと牛乳瓶の底みたいなメガネ男子が登場するかと思いきやさわやか。へーと思いつつ、ちょっと残念な気持ちにも。「Sくんに突然呼ばれてきました、何にもわからないです」というような旨を伝えて研究会というものに出席することになった。

そして、教授登場。おお、研究者。いいメガネしてる。
まずは何をしていいのかわからないので、自己紹介をしてみる。Sくんと知り合ったきっかけにもなった造形大学の本を教授にみせると、なにやら指でしおりをしている。なんだろうと見てみると、そこにあったのは電車の写真。。。この教授、いい人かもしれない、と感じた。と同時に、アートの素地もなく、学歴もなく、展覧会の企画なんてやったことのない、サブカル編集者をプロジェクトの仲間にしてくれるなんて懐深いなあ、大丈夫なのかなあともその時思った(もちろんSくんからの後押しがあったからだとは思うが)。後から考えると、この研究室の人たちはどこか一風変わっていて、基本的に自由奔放、面白いことには異常な興味を示すが、他人のやってることにはそこまで干渉しない。乞われれば協力するが、基本的に野放し状態、らしい。大学の研究室という社会はまったくもって踏み入れたことのない世界なので、どういう風習があるところなのかは分からないが(基本的にはいい意味で変人ばっかりなんだろう)、そのなかでも変わってる研究室らしい。今考えてみると、そういう風土も自分には合っていたような気がする。

そして、プロジェクト。第1回目のミーティングもものすごく時間が延びて、結局終電くらいになったような気がする。そこで分かったことは
・10月に羽田空港で展覧会をやるらしい
・それは研究成果の発表らしい
・作品の骨子はSくんが決めるらしい
・プロジェクトを動かす人間がほとんどいない
ということ。

あやうい、あやうすぎる。。。ものすごく面白い甘い香りがするとともに、一度踏み入れたら容易に抜け出せない危険な匂いもする。相手がでか過ぎるわりに、体制がなってない。

普通、広告代理店なんぞと仕事するときには、だいたい一番はじめに「座組」が決められる。プレイヤーは何人いて、誰と誰が味方で、どういうお金の流れで、誰が何をやる、よってその予算規模はどれくらい。といったもの。もちろん自分の領域以外のことは責任持たないし、やらない。また、予算以上の仕事はしない。悲しいかなそれが社会なの。それはそれで楽だし、それなりに充実感も達成感もある。広告に限ったことではなく、雑誌でもそんなに変わらない。もちろん自分の興味あることや好きな企画の場合はまったく違う動き方するけどね。一応それが常識とされている。

しかし、このプロジェクト、そんな一般社会の常識が通用するものではない。というか存在しない。誰主導で動いていいのかがまずわからない。そして、自分が動いていいのかすらわからない。多分手をあげてしまったらすべてを抱え込むことになるのだろう、それだけはなんとなく分かった。でも、フリーになってからの鉄則「面白そうな話には金銭関係なく乗れ」に従い、もう心は決めていた。

プロジェクトには私ともう一人の部外者がいた。多摩美出身の手先が器用なIくんだ。いい猫背。
Sくんのファンで何度も作品を見せにきており、晴れてプロジェクトで採用されることになったという。まずは美大チームとは話が合いそう、ちょっとだけ心強い。

プロジェクトが進み出す前に、自分の心を決めるとともに、大いなる旅路への仲間を集めよう、まずそう思った。mtgで聞く限りだと、代理店やイベント会社を入れるような予算的余裕はなさそうだけど、PRは力を入れなければならないので外部を雇える。そしてグラフィック、撮影関係などは予算を割けるという話だった。まずそこから確保しよう。

そして、前の会社の上司Oさんに相談してみる。自分の役割としては何をすべきだろうか、いつもたいしたアドバイスをくれるわけではないのだが、いつも相談する。そんな相手。そして大枠の話をすると
「代理店に投げて、早めに逃げたほうがいい」との助言。確かに普通に聞いたらそう思うよね。
その助言に対し、「まあでもメンバーはみんな東大生だから、頭いいし大丈夫じゃないかな」という、いつもの私の深く考えない楽観視発言に、Oさんは「頭いい人と仕事で使える人は別物」と。いまとなってみれば、ものすごーく身にしみるひとことだった。

次に頭をよぎったのは、某代理店のK氏。ここ数年いろんなプロジェクトでお世話になっているキレ者で、もともとCC局にいたこともありPRに関してはプロ中のプロ。もちろんイベントまわりもできるというので、巻き込もうと思い相談をしにいく。調子のいい人なので、ものすごく最初は乗り気だったが、予算のなさ加減や相手が面倒くさそうなことをいち早く察知してか、うまーい距離感でおつきあいしていただくことになった。でも、ネット系のニュースにうまく情報を流してもらい非常に助かる。

PRは会社を入れなければと思っていたが、プレス発表会をやるだけで百万以下はあり得ないといううわさを聞き、これは個人の人に頼るしかないなあと。とちょうどいいタイミングで、KさんMさんの二人が新しいプロジェクトを立ち上げたという連絡を聞く。デザイン系、カルチャー系、ファッション系、アート系に限りだが、ターゲティングされたコアな媒体にむけてのメール配信サービスだ。先方もそのサービスの実績を増やしたいという目論見もあり、条件は合致。安くお手伝いをしてもらえることになる。それはそれで面倒な部分も多かったが、ひじょうに心強い旅の仲間が見つかった。

メディアアートのPRの難しさ、については次の機会に。
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仏教が好き [本]


仏教が好き!

仏教が好き!



☆☆☆☆☆

仏教が好きです。
前から読もうと思っていた故・河合隼雄氏と中沢新一氏の対談集。
キリスト教と対比しながら、イエスは十字架に架せられた後に復活してしまうが、ブッダはきのこ(だっけ?)にあたってお腹を壊して亡くなった。普通の人として普通に死んでいくというブッダの姿に共感を持っていること。
河合氏の気になる発言を抜粋。

ーー
だから仏教の特徴は、これはユングも書いておったと思うけど、「これではない、あれではない、これではない、あれではない」の連続で進んでいくんです。キリスト教やったら「これだーっ!」そうでしょう?
ーー

また、人間と自然についての関係については以下のように語っている。
キリスト教:神、人、自然
イスラム教:神、それに対して、人と自然一体
仏教(アニミズム):みんなぼーっと円環的に、神、人、自然すべて一体

つまり、キリストやイスラムのような神の考え方ではなく、仏教ではゴータマ・ブッダは、自分の存在そのものが真理を悟った者「ブッダ」になる。
そういう意味で仏教と心理学は通じるものがあると河合氏は言っている。

また、「幸福論」についてのくだりも面白かった。もともと仏教には幸福という概念がなく、これはボヌールやハピネスという西洋語に当たる言葉を後から合成したものなのだとか。日本の古代では、幸せというのは「海幸山幸」であり、中沢氏は「境界領域に渦巻いている霊力をコントロールすれば、獲物を得られるという縄文時代の狩猟の考え方」だとしている。
そこで、仏教的な幸福論とは何かという時に「楽」という言葉をあてた。「安楽」「安心」「大楽」「極楽」という。苦しみを取り除いた状態が「楽」である。ここらへんから、楽と死について、死と輪廻について、自殺についての話は面白かった。

と「ふむふむ」思いながら本を読んで、改めて仏教(アニミズム)の面白さを納得したのだが、まだいまいち自分の中でふにおちていない部分も多い。もう一回ちゃんと読もう。
タグ:本 仏教
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たのしい写真 よいこのための写真教室 [本]


たのしい写真―よい子のための写真教室

たのしい写真―よい子のための写真教室




こんな本が欲しかった! と心から思える、ホンマタカシ氏による新しい写真論。
私的と書いてあるが、写真の好みはどうあれ、ざざっと写真の歴史とその特徴を学ぶのにも最適。
『アフォーダンス』を翻訳した生態学者の佐々木正人氏との対談では、アフォーダンスの考え方である人が持っている「見え」の感覚を写真撮影に置き換えて考える。『東京郊外』撮影時の風景の中に入り込んでいくという話は興味深い。また、作家堀江敏幸氏との対談は作者と読者についての話で、ロランバルトの「作家の死」からはじまり、読者が持つ作者へのイメージ、そのイメージは作者とイコールなのか。作者と読者が持つ作家へのイメージは決してイコールではないが、真実に限りなく接近している共同幻想みたいなもの。堀江氏の言葉「血も肉もある現実だけでは、作品にならない。それを言葉にしなければならない。そこから誠実な嘘の世界がはじまっていくんです」が印象的だった。

堀江氏のエッセイを読んでいると、「虚構の物語」と知りつつもいつの間にか作家・堀江敏幸への幻想を膨らませている自分がいる。勝手な作家像を思い浮かべて一喜一憂し、その後どこかのインタビューで作家が語っているのを見て「そんな人だったっけ?」とまた作家を疑い、「本当はどんな人なんだ」と考える。
写真にしても文章にしても、本質的な部分では作家の性格や生まれなんてどうでもいいのだと思うが、そういう情報に振り回されながら、文章や写真の向こうにいる作り手の顔を思い浮かべ翻弄されるのも悪くないなと私は思う。どちらにせよ、人の手を介して生み出されたものなのだから。

話は逸れたが、ロバート・フランクのポラ講座も最高。
写真の撮り方というよりは、写真への目の向け方、接し方、楽しみ方がひしひしと伝わってくる。
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恋と股間 [本]

最近読んだ本


恋と股間 (よりみちパン!セ)


杉Jさんの著作を初めて読んだが、こんなにもセンシティブだとは。
モテナイ男の妄想記的なものを想像して、面白エッセイかなと思い買ってしまったのですが、すみませんでした。まったく誤解してました。
こういう本こそ、今の中学生とか高校生とか大人になってもきちんと相手と向き合えない人は読んだ方がいいし、自分もかなり身につまされました。

最後に〜の部分が特によかった。そもそも男と女は別の惑星にいるという前提において、男らしさ、女らしさについて語り、その違いを心得た上で「らしさ」を演じること、そして、違いを楽しむことが大切と結ばれています。以下抜粋。

ーーー
万が一、男女両方の「らしさ」がとけ合ってなくなることがあったとしても、それでもやっぱり、それぞれの持つ「ちがい」は残ると思います。生物学的な意味の「ちがい」だけじゃなくて、男と女がお互いに感じている
「ちがい」、そして、そこから生まれる「わからなさ」は、きっとこれからも解消されることはないと思います。
(中略)
「わからない」ものにたいしてこそ、ぼくたちの「思いやり」と想像力」は試されて、鍛えられるんです。わからないから知らない、わからないから関係ない、というのではなく、わからないものをわからないままに思いやればいい。わからないから、思いやりたい。
 親でもきょうだいでも親戚でもない、まったくの赤の他人が出会うこと。この世界に何十億という人間がいる中で、たまたま出会った一人と一人がお互いを思いやるということ。
 ありえないほどに尊く、尊いほどにありえないことです。
ーーー

尊いとしながらも、その尊さは日々のなんということのないところに潜んでいるという文章で、この本は結ばれている。
ひとつひとつの平易な言葉が、ずずーんと胸に突き刺さってしまいました。

この「ありえないこと」と「日常に潜んでいる」という部分。いわゆる日常の気付きは、少し前までやっていた山田太一のドラマ「ありふれた奇跡」とリンクした。ちょうど同時期に読んでいたこともあって。
日々、いろんな奇跡が積み重なって、誰にでも、それぞれの人生があるのだなという。じりじりと進んでいくストーリーにやきもきしながらも、最後表れた小さな小さな光に思わず涙してしまった。一つひとつの言葉が本当に素晴らしいドラマだった。

その小さなことに気付ける、見過ごさない感性を持ちたいし、気付いた時に、きちんと向き合って、ちゃんと考えて、丁寧な対処ができる自分でありたいなと考えさせられた。
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DMCデトロイト・メタル・シティ [映画]

Go to DMC! Go to DMC! Go to DMC!
explain_img.jpg
http://www.go-to-dmc.jp/index.html

公開二日目に鑑賞。(本当は初日に行きたかった)
映画の前に漫画を読もうか悩んだ結果、読まずに見ようと思い
何の前情報もなく映画館へ。
結果、最高でした。

マツケンはインタビューで根岸くんが非常に気持ち悪いキャラになった
ような話をしていたが、その度合いとしては、むしろ拒絶のギリギリくらいの
路線でうまくハズしていたように思う。彼がもともと渋谷系の
音楽にあんまり興味がない(もしくは世代がちょっと違う)からじゃないかな。
それは、クラウザーさんの演技にしてもそうなんだけど、自分の過去の体験として
接してきたものを演じたというより、本当にストーリーの中に入り込んで
演出されるままに役に入っていたように思う。いずれにしてもすごい俳優ですね。
ものすごく好きだったり思い入れがあったりしないから、渋谷系特有の気持ち悪さも
メタルバンドの雰囲気も演じられたのだろうな、と映画を見ながら勝手に考えてしまった。

そして、帰りに漫画を数冊買い込み読みながら帰ったが、エピソードとしてはかなり漫画に忠実なのね。
しかし、漫画を映画に転換する際に、特にコメディというのは難しいのではないかと思う。
その点空気の作り方や間の置き方のバランスが非常に心地よく、あまり考えずにギャハハハーと
笑うことができたのは、監督や脚本が優れているのだと思う。
あと、もうひとつよかったのは、クラウザーさんの苦悩とか最後の盛り上げ方。
やっぱり映画1本の中でクライマックスというのが必要で、それに向かって話は動いていくんだが、
お母さんとのやりとりのシーンとか、手紙が送られてくるシーンなどで徐々に話は盛り上がっていき、
ライブへと突進していく。そのじわじわと盛り上がっていくスピード感と、
ほどよいドラマチック加減が、ピンポイントに私の心を突っついてしまい、
隣の友達に気付かれぬよう、ついつい涙してしまった、無念。

そして、いまだにSATSUGAIと甘い恋人が頭から離れません。



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女教師は二度抱かれた [舞台]

突然仕事が落ち着いたので、映画TOKYO」を観に行くか、
コクーンに行くか悩んで、ひとまず当日券並んでみて無理そうだったら
映画にしようと思い。文化村へ向かった。

無事チケットは取れた。意外と当日券いけるもんだな。
もちろん3時間スタンディングなんだけど。

「女教師は二度抱かれた」
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/shosai_08_onnakyoushi.html

jokyo.jpg
まず、タイトルがすごい。
女教師が抱かれるだけでも、なんだか卑猥でよくわかんないのに、二度も。
そして、ポスターの河井克夫の絵。
荒波の前で抱き合う男と女。多分この女が女教師なんだな。

あらすじとしては、小さな劇団の演出家の天久六郎(市川染五郎)が、
歌舞伎界の異端児滝川栗之介・滝クリ(阿部サダヲ)に見初められ、伝統の歌舞伎×前衛の小劇団
というよくある組み合わせでタッグを組み、新しい分野に挑もうとしている。
一方でこれから成功を掴もうとしている六郎は、時折悪夢にうなされた。
高校時代の演劇部の先生、山岸諒子(大竹しのぶ)が「顔がないの」と叫ぶ……、というもの。
六郎を名演出家にすべく育てた諒子と六郎の間には、師弟を越える関係があった。
しかも、その情事は田舎の小さな町ではすぐ評判になり、噂は広まっていった。
「僕は有名な演出家になったら、必ず先生に演技をつける」という六郎の言葉だけを信じて待つ諒子。
諒子の存在に後ろ髪を引かれながらも、自分の成功へ一歩ずつ前進する六郎。
そして、滝クリと六郎は伝統を壊す新しい舞台を作ろうとするが、そこで滝クリが選んだ脚本は
「女教師は抱かれた」(だったっけ?すみません題名忘れました)という、
六郎が学生時代に書いた、諒子と六郎の半自伝的な戯曲。
その脚本を前に、再び悪夢にうなされる六郎、そして諒子との再会。
あと、滝クリにも降りかかる突発的な事件もあったわ。二丁目での出来事やお子様ランチショー。
そして、そして、いろんな糸が複雑に絡んで……。

どうなってるのーーー! 答えてちょーだい!

すごーく簡単に書くとこんな感じ。もっともっと、他の役にもエピソードがいっぱいあるし、
主人公の二人だけじゃなくって、それぞれの役に見どころがある。

見終わった後に映画と小説の「クワイエットルームへようこそ」をくっきりと思い出した。
と思って、パンフを読み返してみたら、描きたいことの要素として、クワイエットの続編という
ニュアンスを松尾氏が語っていたので、やっぱりなあと納得。

「クワイエット〜」の時は、雑誌で内田さんにインタビューした経緯もあって
映画も何度も観て、小説も何度も読んだけど。個人的にものすごく共感できた部分があって。
それが、狂気と正気は紙一重ということ。
誰もがいつクワイエット行きになるかなんてことは分からなくて、
人は強いようでいて、弱いし、弱いようでいて、実は強かったりして。
いつプツーンと糸が切れちゃうかなんて、誰にも分かんないのだ、ということを
ものすごく実感させられてしまったのだ。だから、ものすごく特殊で個人的で
妄想的なストーリーなのかもしれないけれど、観る人はそれぞれに共感できるポイント
話のどこかにちりばめられていて、どんなに小さな役でも、その一つひとつに対して
愛情が注がれているんだなあ、というのを、本と映画両方から感じて。
人のもろさを笑いに変えて、でもすごく誠実に書かれた物語には、
本を読んでも感動して、映画を観てさらに感動してしまったのです。

と、クワイエットの話になってしまったので、話を戻すと。
まあ、おんなじようなことが、「女教師」にも言えると思ったのです。
これ小説にならないでしょうか。戯曲でもいいんですが、もう一回文字でも堪能したい。
六郎の運命にガツンとやられる人もいるだろうし、
諒子の翻弄されて精神が崩壊してしまった人生(ある意味幸せかもしれないが)に共感する人もいるでしょう。
泉ちゃん(市川美和子)の殴られタイプの女は知り合いにいます、デキル女性に多い気がします。
だから、感想はおんなじ感じで、やっぱり共感の持ちどころはいろんなところに散らばっているのです。

細かいところだと、
江川紹子(池津祥子)は、立ち見席からだと本当に浅野温子に見えました。
そして、なんでこの役名にしたのでしょう?思いつき?何か深い理由があるのか?
鉱物圭一(浅野和之)の身体の柔らかさにはいつも驚かされます。
この芝居の宣材の写真を見て、宮川大輔が出てるんだと勝手に勘違いしてました。
元気・三郎(星野源)は歌声が意外に渋くて惚れました。
弁慶(荒川良々)のちょっと似合わないヤクザっぷりもよかったです。
ルクルーゼ・お子様ランチ(松尾スズキ)は、もう何がすごいって、すごい。

あと、大竹しのぶのものすごさはクワイエットで驚愕して、今回は驚きというよりは
ひたすら「すごいなー、すごいなー」と舞台から発せられるパワーをひしひしと遠くで感じていたんだけど、
今回、市川染五郎の生の演技を観られたのは、よかったなあ。
なんなんだろう、あの脱力感とダメな感じ。で、ものすごい存在感がある。学生服は怖かったけど。
歌舞伎をやっているところをぜひ観てみたい。

本当に生で観られてよかった、よかった。
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