空気の備忘録メモ その2〜プロジェクト初期〜 [アート]
Sくんからメールがあったのが、2009年1月20日だった。
このメールというのも彼から来たというよりは、私が別の取材の申し入れをした返信にそれは記されていた。
10月に羽田空港で展示をやるので、その広報とツール編集を手伝って欲しい、まだ先生には話してないから、動き出したら連絡をするという程度の用件だった。
正直、このプロジェクトが本当にきちんと動き出すとはこの時は考えておらず、面白そうだから話だけでも聞いてみようという印象。実際にお金が出るかどうかも分からず、なんとも半信半疑だった。
いつものように、私が役に立ちそうだったらお願いします程度の社交辞令的なメールを返信し、とりあえずはそのまま放っておいた。
そして数日後、急にメールが来て「明日の研究会でkmjさんを紹介したい」と。
おお突然だなーと思いつつスケジュールを確認すると、完全にダブルブッキング。ロケ取材(この時はアウトドア特集の釣り取材)があるので無理です、と一度お断りしていた。すると、何の因果か天候悪化のために船が出ないとの連絡。偶然にも1日ぽかりと空いてしまった。
こういうのもタイミングなんだなあと思いつつ、何にも知らぬまま本郷へ。東大の理工系の研究室の人たちに、私が作った本なぞ見せて何が参考になるのかもわからず、会ってみて合わなそうだったら他の人探してもらえばいいしね、という軽い気持ち数冊の本を抱えて研究室に向かう。
前情報としては、工学部という建物に行くこと、ヴァーチャルリアリティの研究室らしいということのみ。下調べもしていかなかったのは私が悪いが本当に予備知識もなく、きっとアキバに出没していそうな若者がいる研究室なのだろうな、程度の想像、情報系だし。東大だからといって身構えるとか緊張するとかはあんまりなく、だってさすがにいまさら何かを取り繕ってもバレるし、頭いい人たちだからきっと話は早いだろうな、と思ったくらい。そんな感じ。
最初に登場したのは助教のNくん。さっぱりとした好青年だ。もっと牛乳瓶の底みたいなメガネ男子が登場するかと思いきやさわやか。へーと思いつつ、ちょっと残念な気持ちにも。「Sくんに突然呼ばれてきました、何にもわからないです」というような旨を伝えて研究会というものに出席することになった。
そして、教授登場。おお、研究者。いいメガネしてる。
まずは何をしていいのかわからないので、自己紹介をしてみる。Sくんと知り合ったきっかけにもなった造形大学の本を教授にみせると、なにやら指でしおりをしている。なんだろうと見てみると、そこにあったのは電車の写真。。。この教授、いい人かもしれない、と感じた。と同時に、アートの素地もなく、学歴もなく、展覧会の企画なんてやったことのない、サブカル編集者をプロジェクトの仲間にしてくれるなんて懐深いなあ、大丈夫なのかなあともその時思った(もちろんSくんからの後押しがあったからだとは思うが)。後から考えると、この研究室の人たちはどこか一風変わっていて、基本的に自由奔放、面白いことには異常な興味を示すが、他人のやってることにはそこまで干渉しない。乞われれば協力するが、基本的に野放し状態、らしい。大学の研究室という社会はまったくもって踏み入れたことのない世界なので、どういう風習があるところなのかは分からないが(基本的にはいい意味で変人ばっかりなんだろう)、そのなかでも変わってる研究室らしい。今考えてみると、そういう風土も自分には合っていたような気がする。
そして、プロジェクト。第1回目のミーティングもものすごく時間が延びて、結局終電くらいになったような気がする。そこで分かったことは
・10月に羽田空港で展覧会をやるらしい
・それは研究成果の発表らしい
・作品の骨子はSくんが決めるらしい
・プロジェクトを動かす人間がほとんどいない
ということ。
あやうい、あやうすぎる。。。ものすごく面白い甘い香りがするとともに、一度踏み入れたら容易に抜け出せない危険な匂いもする。相手がでか過ぎるわりに、体制がなってない。
普通、広告代理店なんぞと仕事するときには、だいたい一番はじめに「座組」が決められる。プレイヤーは何人いて、誰と誰が味方で、どういうお金の流れで、誰が何をやる、よってその予算規模はどれくらい。といったもの。もちろん自分の領域以外のことは責任持たないし、やらない。また、予算以上の仕事はしない。悲しいかなそれが社会なの。それはそれで楽だし、それなりに充実感も達成感もある。広告に限ったことではなく、雑誌でもそんなに変わらない。もちろん自分の興味あることや好きな企画の場合はまったく違う動き方するけどね。一応それが常識とされている。
しかし、このプロジェクト、そんな一般社会の常識が通用するものではない。というか存在しない。誰主導で動いていいのかがまずわからない。そして、自分が動いていいのかすらわからない。多分手をあげてしまったらすべてを抱え込むことになるのだろう、それだけはなんとなく分かった。でも、フリーになってからの鉄則「面白そうな話には金銭関係なく乗れ」に従い、もう心は決めていた。
プロジェクトには私ともう一人の部外者がいた。多摩美出身の手先が器用なIくんだ。いい猫背。
Sくんのファンで何度も作品を見せにきており、晴れてプロジェクトで採用されることになったという。まずは美大チームとは話が合いそう、ちょっとだけ心強い。
プロジェクトが進み出す前に、自分の心を決めるとともに、大いなる旅路への仲間を集めよう、まずそう思った。mtgで聞く限りだと、代理店やイベント会社を入れるような予算的余裕はなさそうだけど、PRは力を入れなければならないので外部を雇える。そしてグラフィック、撮影関係などは予算を割けるという話だった。まずそこから確保しよう。
そして、前の会社の上司Oさんに相談してみる。自分の役割としては何をすべきだろうか、いつもたいしたアドバイスをくれるわけではないのだが、いつも相談する。そんな相手。そして大枠の話をすると
「代理店に投げて、早めに逃げたほうがいい」との助言。確かに普通に聞いたらそう思うよね。
その助言に対し、「まあでもメンバーはみんな東大生だから、頭いいし大丈夫じゃないかな」という、いつもの私の深く考えない楽観視発言に、Oさんは「頭いい人と仕事で使える人は別物」と。いまとなってみれば、ものすごーく身にしみるひとことだった。
次に頭をよぎったのは、某代理店のK氏。ここ数年いろんなプロジェクトでお世話になっているキレ者で、もともとCC局にいたこともありPRに関してはプロ中のプロ。もちろんイベントまわりもできるというので、巻き込もうと思い相談をしにいく。調子のいい人なので、ものすごく最初は乗り気だったが、予算のなさ加減や相手が面倒くさそうなことをいち早く察知してか、うまーい距離感でおつきあいしていただくことになった。でも、ネット系のニュースにうまく情報を流してもらい非常に助かる。
PRは会社を入れなければと思っていたが、プレス発表会をやるだけで百万以下はあり得ないといううわさを聞き、これは個人の人に頼るしかないなあと。とちょうどいいタイミングで、KさんMさんの二人が新しいプロジェクトを立ち上げたという連絡を聞く。デザイン系、カルチャー系、ファッション系、アート系に限りだが、ターゲティングされたコアな媒体にむけてのメール配信サービスだ。先方もそのサービスの実績を増やしたいという目論見もあり、条件は合致。安くお手伝いをしてもらえることになる。それはそれで面倒な部分も多かったが、ひじょうに心強い旅の仲間が見つかった。
メディアアートのPRの難しさ、については次の機会に。
このメールというのも彼から来たというよりは、私が別の取材の申し入れをした返信にそれは記されていた。
10月に羽田空港で展示をやるので、その広報とツール編集を手伝って欲しい、まだ先生には話してないから、動き出したら連絡をするという程度の用件だった。
正直、このプロジェクトが本当にきちんと動き出すとはこの時は考えておらず、面白そうだから話だけでも聞いてみようという印象。実際にお金が出るかどうかも分からず、なんとも半信半疑だった。
いつものように、私が役に立ちそうだったらお願いします程度の社交辞令的なメールを返信し、とりあえずはそのまま放っておいた。
そして数日後、急にメールが来て「明日の研究会でkmjさんを紹介したい」と。
おお突然だなーと思いつつスケジュールを確認すると、完全にダブルブッキング。ロケ取材(この時はアウトドア特集の釣り取材)があるので無理です、と一度お断りしていた。すると、何の因果か天候悪化のために船が出ないとの連絡。偶然にも1日ぽかりと空いてしまった。
こういうのもタイミングなんだなあと思いつつ、何にも知らぬまま本郷へ。東大の理工系の研究室の人たちに、私が作った本なぞ見せて何が参考になるのかもわからず、会ってみて合わなそうだったら他の人探してもらえばいいしね、という軽い気持ち数冊の本を抱えて研究室に向かう。
前情報としては、工学部という建物に行くこと、ヴァーチャルリアリティの研究室らしいということのみ。下調べもしていかなかったのは私が悪いが本当に予備知識もなく、きっとアキバに出没していそうな若者がいる研究室なのだろうな、程度の想像、情報系だし。東大だからといって身構えるとか緊張するとかはあんまりなく、だってさすがにいまさら何かを取り繕ってもバレるし、頭いい人たちだからきっと話は早いだろうな、と思ったくらい。そんな感じ。
最初に登場したのは助教のNくん。さっぱりとした好青年だ。もっと牛乳瓶の底みたいなメガネ男子が登場するかと思いきやさわやか。へーと思いつつ、ちょっと残念な気持ちにも。「Sくんに突然呼ばれてきました、何にもわからないです」というような旨を伝えて研究会というものに出席することになった。
そして、教授登場。おお、研究者。いいメガネしてる。
まずは何をしていいのかわからないので、自己紹介をしてみる。Sくんと知り合ったきっかけにもなった造形大学の本を教授にみせると、なにやら指でしおりをしている。なんだろうと見てみると、そこにあったのは電車の写真。。。この教授、いい人かもしれない、と感じた。と同時に、アートの素地もなく、学歴もなく、展覧会の企画なんてやったことのない、サブカル編集者をプロジェクトの仲間にしてくれるなんて懐深いなあ、大丈夫なのかなあともその時思った(もちろんSくんからの後押しがあったからだとは思うが)。後から考えると、この研究室の人たちはどこか一風変わっていて、基本的に自由奔放、面白いことには異常な興味を示すが、他人のやってることにはそこまで干渉しない。乞われれば協力するが、基本的に野放し状態、らしい。大学の研究室という社会はまったくもって踏み入れたことのない世界なので、どういう風習があるところなのかは分からないが(基本的にはいい意味で変人ばっかりなんだろう)、そのなかでも変わってる研究室らしい。今考えてみると、そういう風土も自分には合っていたような気がする。
そして、プロジェクト。第1回目のミーティングもものすごく時間が延びて、結局終電くらいになったような気がする。そこで分かったことは
・10月に羽田空港で展覧会をやるらしい
・それは研究成果の発表らしい
・作品の骨子はSくんが決めるらしい
・プロジェクトを動かす人間がほとんどいない
ということ。
あやうい、あやうすぎる。。。ものすごく面白い甘い香りがするとともに、一度踏み入れたら容易に抜け出せない危険な匂いもする。相手がでか過ぎるわりに、体制がなってない。
普通、広告代理店なんぞと仕事するときには、だいたい一番はじめに「座組」が決められる。プレイヤーは何人いて、誰と誰が味方で、どういうお金の流れで、誰が何をやる、よってその予算規模はどれくらい。といったもの。もちろん自分の領域以外のことは責任持たないし、やらない。また、予算以上の仕事はしない。悲しいかなそれが社会なの。それはそれで楽だし、それなりに充実感も達成感もある。広告に限ったことではなく、雑誌でもそんなに変わらない。もちろん自分の興味あることや好きな企画の場合はまったく違う動き方するけどね。一応それが常識とされている。
しかし、このプロジェクト、そんな一般社会の常識が通用するものではない。というか存在しない。誰主導で動いていいのかがまずわからない。そして、自分が動いていいのかすらわからない。多分手をあげてしまったらすべてを抱え込むことになるのだろう、それだけはなんとなく分かった。でも、フリーになってからの鉄則「面白そうな話には金銭関係なく乗れ」に従い、もう心は決めていた。
プロジェクトには私ともう一人の部外者がいた。多摩美出身の手先が器用なIくんだ。いい猫背。
Sくんのファンで何度も作品を見せにきており、晴れてプロジェクトで採用されることになったという。まずは美大チームとは話が合いそう、ちょっとだけ心強い。
プロジェクトが進み出す前に、自分の心を決めるとともに、大いなる旅路への仲間を集めよう、まずそう思った。mtgで聞く限りだと、代理店やイベント会社を入れるような予算的余裕はなさそうだけど、PRは力を入れなければならないので外部を雇える。そしてグラフィック、撮影関係などは予算を割けるという話だった。まずそこから確保しよう。
そして、前の会社の上司Oさんに相談してみる。自分の役割としては何をすべきだろうか、いつもたいしたアドバイスをくれるわけではないのだが、いつも相談する。そんな相手。そして大枠の話をすると
「代理店に投げて、早めに逃げたほうがいい」との助言。確かに普通に聞いたらそう思うよね。
その助言に対し、「まあでもメンバーはみんな東大生だから、頭いいし大丈夫じゃないかな」という、いつもの私の深く考えない楽観視発言に、Oさんは「頭いい人と仕事で使える人は別物」と。いまとなってみれば、ものすごーく身にしみるひとことだった。
次に頭をよぎったのは、某代理店のK氏。ここ数年いろんなプロジェクトでお世話になっているキレ者で、もともとCC局にいたこともありPRに関してはプロ中のプロ。もちろんイベントまわりもできるというので、巻き込もうと思い相談をしにいく。調子のいい人なので、ものすごく最初は乗り気だったが、予算のなさ加減や相手が面倒くさそうなことをいち早く察知してか、うまーい距離感でおつきあいしていただくことになった。でも、ネット系のニュースにうまく情報を流してもらい非常に助かる。
PRは会社を入れなければと思っていたが、プレス発表会をやるだけで百万以下はあり得ないといううわさを聞き、これは個人の人に頼るしかないなあと。とちょうどいいタイミングで、KさんMさんの二人が新しいプロジェクトを立ち上げたという連絡を聞く。デザイン系、カルチャー系、ファッション系、アート系に限りだが、ターゲティングされたコアな媒体にむけてのメール配信サービスだ。先方もそのサービスの実績を増やしたいという目論見もあり、条件は合致。安くお手伝いをしてもらえることになる。それはそれで面倒な部分も多かったが、ひじょうに心強い旅の仲間が見つかった。
メディアアートのPRの難しさ、については次の機会に。







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